2013年01月24日

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り24

『顕真』平成23年6月号の「宿善と聴聞と善のすすめ」には、疑難と答えが3つありますが、1つ目については前々回と前回で述べました。後の2つは共に、「雑行」についてです。
いつものヘンテコ理論ですが、一応紹介しておきます。

(疑難)
「親鸞聖人は、雑行を捨てよと教えられているのだから、諸善をする必要はない。善を勧めるのは間違いだ」

(答え)
 真宗の人々に、こんな誤解が多い。もし、これが浄土真宗の教えならば、布施(親切)や精進(努力)、父母の孝養などは、必要ないからするなという、放逸無慚な怠け者を作るのが親鸞聖人の教えになるだろう。
 これらはみな、仏法で説く諸善であるからだ。

 これは全く、「雑行」というものを知らない人の発言であることは明らかだが、こんな聞き誤りが、結構多いのが現状である。
 その元は、どこにあるのか解明しよう。

「雑行」とは、「弥陀の往生浄土の救いを求めてする、もろもろの善」をいうのである。
 仏教で説かれる「諸善」が、悪いはずがないのだが、なぜその「諸善」を、「雑行」と嫌い、捨てよと言われるのか。

 それは「自力の心」で行うからである。「自力の心」さえ廃れば、「諸善」は「雑行」とも言われず、捨て物でもなく、「御恩報謝の行」となり、身を粉に骨砕きてもの、恩徳讃の活動になるのだ。

当ブログをしっかり読んでいる割には、以前と全く同じことしかいえないのですから、やはり無能集団なのでしょう。

「雑行」と「自力の心」については当ブログで5月に集中的に解説しておきました。

「雑行を捨てよ」とは、親鸞会の主張する善の勧めを捨てよ

親鸞会の主張を徹底的に否定されたのが親鸞聖人

「雑行を捨てよ」だけで、親鸞会を簡単に論破できます

雑行の意味も知らない喜劇の主役

18願の「十方衆生」の意味さえ知らない

後生のためには「善をするな、やめよ」と仰った善知識方のお言葉

高森会長の雑行の勧め

高森会長の布教の目的は、名利以外にはあり得ない

これらを読みながら、同じことしか言えないのですから、これ以外には、ヘンテコナ譬え以外は思いつかないような知能なのです。「雑行」というものを知らない人のために、高森会長が過去にどんなことを書いているのか覚えていないでしょうから教えてさしあげます。
『会報』5集には

雑行とは第十九願では修諸功徳『観無量寿経』では定散二善、三福九品、その他では諸善万行、六度万行、万行諸善、一切諸行といわれているものである。

と書いています。今ではいろいろと訳の判らないことを言っていますが、『会報』に書いてある通りのものが「雑行」なのですから、高森会長も講師部員も「雑行」を勧めていることは名実共に間違いないことなのです。
もちろん、高森会長は自分で何を書いたのかよく判っていないと思います。なぜならこれも盗作だからです。

大沼師の『法界』には

雑行とは第十九願では修諸功徳、観経では定散二善、三福九品、その他では諸善万行、六度万行、万行諸善、一切諸行である。

とあります。見事に一致しています。理解もせずにまる写しているから突っ込まれるのですが、19願、定散二善、諸善万行は、「雑行」以外の何物でもありません。一応説明しておきますと、これらの「雑行」は、「自力の心」を必ず伴うものです。「自力の心」なしでは成り立ちません。

「自力の心」のない善を、世俗の善というのです。ですから、蓮如上人は『御文章』3帖目第13通に、

それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、(中略)そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

という言い方で、倫理道徳である儒教の善を往生・獲信とは無関係に勧められているのです。『顕真』でいっているように、仏教で説かれる「諸善」を勧められていないのです。なぜなら、それが「雑行」であるからです。
従って、親鸞会がもし本気で善を勧めたいのであれば、蓮如上人と同様に、儒教の善(仁・義・礼・智・信)を勧めるでしょう。しかし、これらは言葉では勧めていても、実際には”後生の一大事のためには、世間事を犠牲にしてでも”と倫理道徳の善を反故にする”悪の勧め”となっているのです。

当ブログでは、根拠に基づいてしか説明をしていません。その根拠に明白に反する主張を高森会長と親鸞会が続けているのには、理由があります。
倫理道徳の善では、お金も人も集められないからです。実に判りやすい思考です。

親鸞聖人、蓮如上人の教えられた通りに話をするつもりが少しでもあるならば、

・三願転入の教え
・宿善論
・善をしなければ信仰が進まない
・微塵の善もできないものと知らされるまで善に励まなければならない

などの「自力の心」を捨てて、法律を守り、親兄弟子供を喜ばせ、職場や学校の関係者から好かれるような言動をしなさい、ボランティアに積極的に参加しましょう、と言えばいいのです。

まあ、盗作・浄財の私的流用・不倫・万引き・惨敗法論の捏造改竄等を平気で行っているような面々には、無理な話ですね。頭の中は、どうやって会員を騙し続けて、お金を捲き上げるか、しかないのです。

posted by 鴻 at 22:55| Comment(0) | 教義 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。