2013年01月25日

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り13

『顕真』平成23年3月号の「宿善と聴聞と善のすすめ」は、お粗末な内容というよりも如何に会員を騙すかに苦労している様子が見てとれます。

「安心問答」
顕真3月号の意訳がどう読んでも異訳になっている件

にも取り上げられていましたが、『教行信証』化土巻・要門釈のお言葉、

然るに濁世の群萌、穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり。
偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し。ここを以て釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発して普く諸有海を化したまう。

の訳として

苦悩が絶えず、迷い深き人類は、数知れぬ外道邪教を逃れて、ようやく仏教にたどり着いても、因果の道理を信じて光に向かう者は、ほとんどなく無きに等しい。

内心は、みな外道に汚染され、善の勧めさえ非難する輩ばかりである。

悲しいこの人間の実態を見られた釈迦は、阿弥陀仏の十九願(福徳蔵)を『観無量寿経』一巻に集中して説き明かし、十方衆生にすべての善を勧められ、なんとか阿弥陀仏の十八願(絶対の幸福)まで導かんとご苦労なされたのである

としていますが、よくもまあ、ここまで大嘘が付けるものだと感心しています。丁度一年前に、mixiでこうへい氏(H講師)とるぅでる様氏、sutybi氏が法論した中心のお言葉で、高森会長と弘宣部がこうへい氏の代わりに文章を作っていたのですから、このお言葉の正しい意味を知らないはずがありません。

★親鸞聖人★ トピック 三願転入

当ブログでも昨年4月から6月までこのことを繰り返し取り上げてきました。
今回の騙しで一番酷いのが「半満・権実の法門」の意味です。

学問的な知識として一応述べておきます。

半満」とは、半字教と満字教のことです。『涅槃経』に、子供に文字を教える時に、最初は半字を教えて、後で満字を教えるということから、釈尊もお弟子に半字教から満字教を教えていかれた、とあります。ここで、半字教は小乗教、満字教は大乗教という意味になります。
権実」とは、権教と実教のことです。大乗教の中で、権仮方便の教えと真実の教えとがあるということです。
半満・権実」は、二双四重の教判でいえば、竪出・竪超のことです。
『教行信証』化土巻

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。

(現代語訳)

 総じて釈尊が説かれた教えの中で、この世界で聖者となってさとりを得るのを聖道門といい、難行道という。この聖道門の中に、大乗と小乗、漸教と頓教、一乗と二乗と三乗、権教と実教、顕教と密教、竪出と竪超がある。これらはすべて自力の教えであり、衆生を真実に導くための、仮の手だてとして説かれた教えである。

あり、この「半満・権実」が「大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超」です。

『愚禿鈔』では

一には大乗の教、二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
 一には頓教、        二には漸教なり。

難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。

難行道 聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。

小乗教について、二教あり。
 一には縁覚教    一に麟喩独覚、二に部行独覚。
 二には声聞教なり。 初果・預流向、第二果・一来向、第三果・不還向、
           第四果・阿羅漢向、八輩なり。

にあたります。

権実」というと18願が実と思われるかもしれませんが、「難行聖道の実教」を指しています。従って、「半満・権実」で、聖道門のことを総称して仰っているのです。

これは当時、こうへい氏も認めていたことですので、陰で操っていた高森会長も弘宣部も知っているのです。
親鸞会で教学的にはほぼ完璧とまで絶賛されていた『教行信証講義』(山邊習学・赤沼智善著)の解釈では

然るに五濁の世に汚された群萌、即ち煩悩悪業の含識は、今や諸仏の大悲に育てられて、漸く九十五種の邪道の網を脱れ出でて、仏教に教える所の半字教、満字教、又は権教、実教等の法門を信受し修道するようになっても、真に其の教へに入る者は甚だ得難く、如実の修道者は甚だ稀である。之に反して仏徒といふは名ばかりにて其の実は偽者が非常に多く、内心空虚の者が甚だ多い。
釈迦牟尼仏之を憐み給ひて、真実に福徳功徳を修むる法門、即ち福徳蔵を説きあらわして修道者のとるべき心霊の方向を指示し下され、そして広く一切衆生を真実門に入らしめんと誘引うて下された。然るに釈尊の此の権化の本を繹れば阿弥陀如来の第十九願である。如来は此の本願を発して普く迷ひに沈める一切衆生を化導して下された。

となっています。
阿弥陀仏は、浄土往生を願っている人だけではなく、浄土往生を願っていない聖道門を信じている人をも浄土往生させようとして、聖道門の人が信じられる19願を建てられたということを親鸞聖人が仰っているのです。

今、親鸞会が教えていることは19願だけです。18願のことなどどこかに忘れ去られています。
昔々会員であった方ならば覚えておられると思いますが、高森会長はよく以下のことを語っていました。

皆さんはどうしたら救われるかということを聞きたいと思われるでしょうが、親鸞聖人は『教行信証』全6巻のうち、5巻までは救われたらどうなるかについて書いておられ、残りの1巻だけにどうしたら救われるかについて書かれています。これは、救われた後どうなるのかを聞く方が、どうしたら救われるかを聞くよりも早く救われるからです。

残り1巻(化土巻)にどうしたら救われるかについて書かれてある、というのは間違いですが、少なくとも救われたらどうなるのか、18願について聞くことが救われる近道、とかつては言っていたにも関わらず、今は19願の話ばかり。もともと救われにくく話をしていたのに、更に救われないように話をしているようなものです。現実に、平生業成を昿劫多生業成の教えと公言しているのですから呆れたものです。

19願の話を聞いて救われるのなら、法然上人、親鸞聖人、蓮如上人が至る所に19願について書いておられる筈です。しかし、法然上人が19願について仰ったのは、『西方指南抄』(親鸞聖人御真筆)に

第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏の願に帰せしむと也。

とある位で、『選択本願念仏集』には言及さえありません。もちろんこのお言葉も、19願は「諸行之人」(聖道門の人)を18願に帰せしむための願という意味です。
蓮如上人は全く仰っていません。
親鸞聖人は19願について仰っていますが、19願を勧められたお言葉はありません。それは、mixiで高森会長、弘宣部、こうへい氏がそれを示せないでいる現状からも判ります。

教えをねじ曲げるのは、とことん平気なのが高森会長と親鸞会です。会員を騙して、お金を巻き上げること以外には考えていないのでしょう。少しでも間違いを正そうなんて、少しも思っていないようです。

当ブログを読んでいる高森会長、反論があればいつでもどうぞ。1年経っても、mixiで答えられないのですから、無理でしょう。

posted by 鴻 at 05:04| Comment(0) | 教義 | 更新情報をチェックする
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