2013年01月25日

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り10

次から次へと訳の判らない財施が要求され、行事の誘いの目標を課せられ、熱心な会員でも不満を持っていると聞きます。
それが当然の思いでしょう。

雑行が出てこなければ、雑行は捨てられない

と、高森会長は、詭弁の珍説を未だに述べています。
高森会長の理論はこうです。

  • タバコを吸わせて体に悪いことを知らせてからでなければ、タバコをやめさせることはできない。
  • 麻薬や覚醒剤をやらせて、心身ともにボロボロになってからでなければ、麻薬や覚醒剤をやめさせることはできない。
  • 自殺をさせてみてからでなければ、自殺を止めることはできない。

通常の思考なら、タバコを吸っている人も吸わない人も、麻薬や覚醒剤をやっている人もやっていない人も、自殺を試みた人も考えていない人も、共通にやめましょう、と呼びかけて、それがおかしいと思う人はいません。タバコ、麻薬、覚醒剤で体を壊してからでは手遅れですし、自殺してしまった人に自殺をするなと教える人はいません。当たり前のことです。

親鸞聖人、蓮如上人は、雑行をしている人もしていない人にも、雑行では往生できないから捨てよとしか教えられていないのです。一度雑行をさせてみて、などと愚かなことを仰る筈がありません。高森会長は、伊藤康善師、大沼法竜師、香樹院師以外の真宗関係の本を読んだことがありませんので、親鸞聖人、蓮如上人がどのように教えられているかを知らないだけのことです。もし知っていたら、恥ずかしくてこんな珍説を唱えることを躊躇するでしょう。

30年前の本願寺との法論の際、本願寺から、「親鸞聖人が獲信のために善を勧められた文証を出せ」といわれて、高森会長が七仏通戒偈や『観無量寿経』を示すという邪道振りに、本願寺は呆れました。それは、聖道門が法然上人を非難した内容そのままであるからです。

これまで何度かそれについては述べてきました。

「汝何ぞ天下の諸人を以て皆下劣の根機と為す乎」との明恵高弁の言葉を知っていますか?
会員との問答(聖道門と浄土門の違い)

しかし、このように説明する以外に、会員に善という建前で、金集め、人集めをさせる理由が無くなってしまいますので、外部からの批判を聞かないようにしているのでしょう。

前回の子供と瀬戸物の喩え話は、聖道門の人のことですが、それを親鸞会の会員に適用するとどうなるか。

力の弱い子供は言うでしょう。
「お母さんは、僕にはこのお皿1枚も持てないと言ってたじゃないの。こんなたくさんの皿なんか持てないよ。」
しかし、母親は言います。
「嘘を言ってはいけないよ。坊やは、これだけの皿くらい持てると本当は思っているのでしょう。一回持ってみなさい、そうすれば持てないことが判るから。」
子供は嫌がります。
「嫌だよ、持てないことくらい判ってるよ。僕、疲れてるから歩きたくもないんだよ。」
母親は子供に厳しく叱りつけます。
「そんなに甘えているなら、御飯もおやつも、これからは無しよ。持ちなさい。」
子供は泣きながら
「そんなの嫌だよ。じゃあ、お皿1枚だけ持つよ。」
子供に皿1枚を持たせて、
「まだ持てるでしょ。はいこれも。」
皿をもう1枚子供に持たせます。
「もう無理。許してよ、お母さん。」
お母さんは益々厳しく
「じゃあ、御飯もおやつも要らないのね。まだこんなにお皿が残ってるじゃないの。このお皿を落としたら、飲み物もおもちゃも無しよ。」

これが高森会長と会員とのやりとりです。

最近高森会長は、真実の善と雑毒の善について詳しく説明しているといいます。

真実の善はできないが、雑毒の善はできる。雑毒の善でもしなければ、良い結果は返ってこない

と。

会員は、真実の善ができないと判っています。判っていなければ、親鸞会の話など聞く訳がないです。雑毒の善ができるのだから雑毒の善をせよ、と言ったところで、往生・獲信となんの関係があると言うのでしょうか。関係を言えないから、

善をしなければ良い結果が返ってこない、真宗が衰退しているのは善を勧めないからだ

と的外れの説明しかできないのでしょう。
高森会長は根拠を出せません。ないからです。

なお、雑毒の善が宿善になるのであれば、善は間違いなくできるのです。雑毒の善ができるのなら、無善ではありません。善導大師が仰るように、「善根薄少」です。真実の善ができないことと必堕無間は、意味が違います。龍樹菩薩は、真実の善はできませんでしたが初地まで到達せられて六道を自力で出離されています。

高森会長が前回の2000畳座談会で

阿弥陀仏が無量光明土に生まれる足しにならない善を19願で勧めておられるのか?

という自問に対して

それは弥陀のお計らいだ
わからないから納得出来るように説明せよという人は弥陀より偉い人で、弥陀に救われる必要のない人だ

と思考停止を会員に要求しています。
このような聖道門的質問に対して、親鸞聖人は詳しく答えておられますが、聖教を読んだことのない高森会長は、愚問愚答をして会員を騙せたと得意気なのでしょう。退会者から見れば喜劇ですが、会員にとっては悲劇です。

さて、この子供はこの後、どういった選択肢があるでしょうか。

A.皿を放り投げて反抗し、母親に捨てられる。
B.適当なことを言って皿を母親に返し、その隙に自ら走り去る。
C.皿を持てば、いつか空から飴が降ってくることを期待して、泣きながら母親に従う。

虐待する母親に対して、子供はどれを選択するのがよいと思われますか。子供を虐待する母親しか知らなければ、しかないのでしょうが、普通の母親を知り、自分を保護してくれる優しい人がいることを知っているのなら、を選択して欲しいと思います。すでに多くの子供が、の方法で、この母親から逃れて、保護されています。

願わくば、虐待の母親の元を離れて、阿弥陀仏という間違いのない保護者の元に行って下さい。

posted by 鴻 at 05:09| Comment(0) | 教義 | 更新情報をチェックする
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