2013年01月25日

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り9

宿善といえば、『本願寺なぜ答えぬ』に宿善のすべてが説明されていると講師部員も幹部会員も、堅く信じています。実際にそのように講師部員が言っています。

『本願寺なぜ答えぬ』には、

 ではなぜ、信前の人に、自力一杯の聴聞や、破邪顕正、布施行などの諸善を勧めるのか。
 机上の空論や、合点なら易しい。仏教は、行学である。
自力は捨てもの、間に合わぬものと、合点するのはたやすいが、実地の体験は、難中之難、無過斯だから、浄土は、易往而無人なのだ。
 後生の一大事の解決には、自力は間に合うか、合わぬか、実際、全力を尽くして、初めて、出きることか、出来ないことか、可能か不可能か、ハッキリ知らされるのだ。
 喩えて言えば、クラスで力自慢の、小学一年の男子を連れて、母親が瀬戸物店へ、買い物に行った。
 大バーゲンで、たんまり仕込んだ母親が、重そうに、荷物を持って店を出た。
瀬戸物は、量の割に、重いものだ。
 それを見て、子供が、
「お母さん、僕、それ持ってあげる。僕、力強いんだよ、昨日もクラスの相撲で、一番だった」
と、自分の力を、誇示する。
 とてもとても、子供の力に合うような、品物でないことは、母親は、百も千も承知している。
「こんな重いものが、あんたなんかに、持てますか、落としたら、どうするの」
頭から、叱りつける母親は、余り、利口な親とは、言われぬ。
「そうお、坊や、そんなに強くなったの、お母さん、嬉しいわ、それじゃあ持ってくれる」
利口な母親は、持てないことを充分承知の上で、一度持たせてみせるのだ。
 落としたら大変だから、母親は、密かに、下に手を廻している。
 子供は、誉められて持ったのだから、男の意地だ、何とか持とうと渾身の力で、力んではみるが、とてもかなわぬ重荷を知らされ、力尽きて、
「お母さん、やっぱり、僕の力じゃ、駄目だ、早くとって!!落とすよ、早く、早く」
と、母親に任せる。
 子供は、母親が、荷物を下から支えていることを知らないから、驚いて、心から素直に、母親に、任せるのだ。

この話は、高森会長の法話でも昔は度々ありました。もちろんこの子供の喩えも、大沼法竜師の作ったもので、高森会長が考えたものではありません。

『顕真』平成23年1月号に、

十九願建立の弥陀の目的

善を励むほど、悪性が見えて来る。
励む善そのものは
「雑毒の善」でもなければ
「虚仮の行」でもないのだが、
励む我々の心が邪見であり、
虚仮であり、不実だから、
「真実の行」とならないのである。
励んでそれを分からせ、
他力の名号に向かわせようと、
弥陀が仕組まれたのが
十九願建立の願意である。

とあるのも、同様のことを言わんとしたものです。

この喩えは、クラスで力自慢の男子相撲で一番になった子供の話です。力に自信のない子供の話ではありません。高森会長は、この力自慢の男子を全ての人という意味で使っていますが、最初から矛盾しています。
仏になるには、真実の善をすればいいと聞いて、それならば自分にできそうだ、と思った人には、聖道門が勧められているのです。聖道門までは無理だと思う人には、19願が勧められるのです。

真実の善は自分にはできないと思っている人が、親鸞聖人の教えを聞くのです。

真実の善ができると自惚れている人は、親鸞聖人の教えを聞こうとはしません。

真実の善ができると自惚れている人は聖道門を信じるか、19願での往生を願うでしょう。

真実の善ができないと思っているから親鸞聖人の教えを聞いて、18願での往生を願うのです。
それは瀬戸物が持てるとは全く思っていない子供と同じです。クラスでは力の弱い子供、相撲でも簡単に負けてしまう子供、つまりこれだけの善ができなければ仏になれない、往生できない、と聞かされても、それは自分にはとても無理だと思う人に、

お前は腹底では瀬戸物が持てると自惚れているんだ、自分の力で成仏、往生できると自惚れているのだ

と無理やり瀬戸物を持たせ、善を強要すればどうなるか。大抵は潰れてしまうでしょう。瀬戸物を持てるなどと全く思っていない、持つことを嫌がる子供に瀬戸物を無理やり持たせようとするのを虐待といいます。しかしその親はいうでしょう、

虐待ではなく躾だ

と。高森会長は、子供を虐待する親と同じ思考です。

聖道門で成仏を目指す、あるいは聖道門は無理でも19願での往生を目指す、という人には、瀬戸物を持たせるという権仮方便が必要になることはあります。
しかし、18願での往生を願っている人に、無理やり、

お前は真実の善ができると自惚れているんだから、命懸けの財施、法施をせよ、命懸けでやらなかったら必堕無間だぞ

と脅して強要するのは虐待そのものであり、方便ではありません。この親鸞会の虐待によって、多くの人が精神も肉体も病んで、そのために亡くなった人もあれば、未だにPTSDで苦しんでいる人も相当の数にのぼります。
一方で、未だに会員として残っている人は、親から虐待されても親から離れられない子供と同じです。

一刻も早く、虐待されている子供達を救いたいと思っています。

posted by 鴻 at 05:11| Comment(0) | 教義 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。